●体中がバカボン
漫画家の赤塚不二夫先生が2日に、肺炎のためお亡くなりになられました。
私たち世代にとって、赤塚先生の作品と言えばやっぱり「天才バカボン」。
私は原作より先にアニメで出会いました。
オープニングソングはあまりにも有名ですよね。
「西から昇ったお日さまが~東へ沈む(あっ、たいへん!)」
こう覚えちゃった子供も多かったかもしれませんね(^^ゞ
でも私が印象に残ってるのが、「元祖天才バカボン」のエンディング曲。
http://www.koredeiinoda.net/b_anime.html
(5番を観てみてください。)
この「元祖天才バカボンの春」という曲です。
ハチャメチャなギャグアニメなのに、物悲しいメロディが新鮮でした。
体が薔薇になっているパパもせつないです。
ちなみに作詞も赤塚先生がされています。
「41歳の春だから~元祖天才バカボンのパパだから~冷たい目で見ないで~」
41歳というのはもしかしたら、当時の赤塚先生の年齢だったのかもしれません。
そのパパと奇しくも現在同い年の私。
パパには到底及びませんが、これからも笑いを忘れず楽しく行きたいと思います。
沢山のギャグと笑いを、ありがとうございました。
赤塚不二夫先生のご冥福をお祈りいたします。
これでいいのだ!
コメント
昭和は遠くなりにけり。
昭和の世に活躍された方達は次々に星に。
淋しいですね。
『おそ松くん』の連載は昭和37年からとか。
私が小学校へ入学した年でした。
街角には子供が溢れ、意味もなくポーズ付の「シェー」が大流行!
しかし私には『イヤミ』の意味が分からず。
今現在も覚えきれないものに『おそ松くん』兄弟の名前。
確か6人だったか!?
昔、ひばりさんに「僕と結婚しよう」などと嘘か誠か言ってましたが今頃はあちらで昔談義か。
Posted by: 駄目男 | 2008年08月04日 05:34
ビデさん、おはようございます。
私のブログに嘉門達夫さんがバカボンの主題歌を歌っていた話を書きましたが、バカボンは影響を受けましたねえ。
当時アニメを見るのを卒業しだした年でしたが、大人が見てもはまる作品でした。
今のアニメはマニア受けするものが多いので、赤塚さんのような作品がないのがさびしいです。
ご冥福をお祈りします。
Posted by: スーパーももちゃん | 2008年08月04日 09:38
『これでいいのだ』と言えなくなってきた時代にまた昭和の巨星が・・・
子供の頃「天才バカボンのおやじ」というバカボンの別冊を持ってました。
これが大人のマンガでそこはかとなくエロ。
今となっては懐かしい。
合掌・・・
Posted by: 嘉門祐助 | 2008年08月04日 23:28
「渚園」や「晴れポン」のときに桑田さんが「シェー」を使ってましたっけ。
タモリさんと同居していて、デビューのきっかけを作ったという話も聞きました。
Posted by: カズ87 | 2008年08月04日 23:58
☆駄目男さん
やっぱり時は着実に流れているんですね。
「作者は死んでも作品は生き続ける」という、赤塚先生の言葉が胸に沁みます。
とても大きなものを遺してくれましたね。
でも赤塚先生のご長女は、立て続けにご両親を亡くされたのでとても辛いと思います。
きっと、天国で大好きなお酒を酌み交わしているのでしょうね…。
☆スーパーももちゃんさん
こんばんは。
嘉門達夫さんも歌ってたんですか!
桑田さんもそうですが様々な分野の方々に影響を与えたのでしょうね。
ほんと、老若男女が楽しめる作品が少なくなりましたね。
時代と言えばそれまでですが、やっぱり悲しいものがあります。
ギャグ漫画でありながら、原作はとても上手な絵ですよね。
基本がしっかりしている証拠ですね!
☆嘉門祐助さん
「これでいいのか?」という時代になってしまいましたよね。
「おでかけですか?」と町の人が声を掛けるような、平和な頃はどこへ行ったのでしょう?
「天才バカボンのおやじ」、赤塚先生の作品ですか?
しかもエロ!(笑)
一度お目にかかりたいです、赤塚先生の色気のある作品。
☆カズ87さん
確か“ハットリ隊”も「シェー」をやっていたような…。
それこそ流行ってる時はゴジラや皇太子様もやっていたそうです。
すごい浸透力ですよね!
ボウリングの支配人をやっていたタモリさんを知り合いに紹介された赤塚先生は、とても気に入って九州に帰そうとしなかったそうでそのまま居候させたそうですね。
タモリさんの才能をいち早く見抜いていた、赤塚先生のアンテナも凄いです。
ギャグ漫画を描くことはそういうことにも長けてないといけないんでしょうね。
Posted by: ビデ | 2008年08月05日 01:17